真夏の約束を共に、温もりを胸に刻まる | 再会
——2024柳州市中日青少年交流成果大記事EP3
再会 | 海を越える青春の約束
柳州で過ごした短い時間の中で、日本の若者たちは学校を訪れ、街を歩き、自然に触れ、この街の情熱と活気、そして魅力を肌で感じ取った。街の姿、人々の笑顔、文化の触れ合い――それらすべてが、彼らの記憶の中でかけがえのない一部となっていた。
「来る道を探せ南にあり」海を越えた再会
別れのときが近づく中、茨城大学の梅澤奈々美さんは絵馬にこう書き記した。「世界平和。もう一度中国に遊びに来ます。我爱中国!」
それは単なる別れの言葉ではなく、やさしく、そしてまっすぐな心からの想いだった。彼女は出発前、ネット上のネガティブな情報に影響され、中国に行くこと、歓迎されるかどうか、現地での交流に少し不安があったが、実際に訪問してみると、人々はとても暖かく歓迎していただき、人々そして土地、景観、そして食事も含めてもっと中国を知りたいという気持ちになったこと。
茨城大学学生 梅沢菜々美
このような変化は、他の日本の若者にも起こっている。阿見町霞ヶ浦高校の濱地勇弥もまた、旅立つ前は不安な気持ちを抱えていた。しかし7日間の短い旅の中で、その不安と緊張は少しずつほぐれていった。「正直なところ、私は中国に行く前、日中間の問題や印象から不安を感じていました。しかし、実際に中国で外事弁のスタッフや高校生、お店やホテルのスタッフと交流してみると、彼らは非常に親切で、日本のことが大好きだということが分かりました。私が日本で抱いていた中国人の印象や偏見は全く異なるものであり、日中間の問題は国家間の問題に過ぎないと理解しました。今回の中国滞在を通じて、中国に対する印象が180°変わり、大好きになりました。もし機会があれば、また旅行や留学をしてみたいと思います」。
阿見町霞ヶ浦高校学生 濱地勇弥
彼の言う通り、柳州の青年学生たちがそれぞれのやり方で新しい友人たちに対する真心のこもった歓迎の気持ちを伝えていた。一緒に行動し、文化の違いを丁寧に説明し、地元のグルメを熱心に勧める姿に、言葉の壁はあっても、想いを伝える妨げにはならなかった。笑顔と身振り、眼差しが、お互いにとって最も心に響く「共通語」となった。
熊本大学の松本佳大には柳州の現代化の発展速度に深い印象をもっている。「トップダウン型の開発によって急速に建設が進んだものの、その発展のスピードに都市全体の活気が追いついていないような印象を受け、中国ならではの都市開発の特徴を垣間見ることができました」松本はさらに注目していた点として、柳州が町の現代化を発展する同時に、自然の景色を維持し続けている。「一方で、中心部を少し離れると未舗装の道路や広がる田園風景があり、広西の美しい原風景が残っていることも強く印象に残りました」。
SGMW「中国五菱館」見学
さらに、柳州のグルメは日本の若者たちにとって忘れがたい味覚の記憶となった。
酸味と辛味が絶妙に絡み合うタニシビーフン、濃厚でスパイシータニシとアヒル足の煮込み、外はカリッと中はジューシーな里芋のカモ肉揚げ、香り豊かな五色もち米ごはん...どれもが彼らの味覚に新鮮な驚きをもたらした。「本場のタニシビーフンはとても印象に残りました。それまで似たような料理を食べたことがなかったのですが、臭みもまったくなくて、酸っぱくて辛くて香りも良くて、本当においしかったです。絶対にまた食べに来たいです!」と熊本大学の別府昭興はこう言った。「一番気に入ったのは、スパイシー煮込んだ料理のタニシです!昔家族と海辺で似たような貝料理を食べたことがありますが、柳州のタニシはもっと味が濃くて、止まらないくらい美味しかったです」霞ヶ浦高校の赤神百香は、あの晩の「タニシ宴」を振り返りながらこう語った。
スパイシータニシとアヒル足の煮込み挑戦
柳州の都市風景は、日本の若者たちの心に鮮やかな記憶に残された。伝統と現代が織りなす工業都市の独特な風格を伝えるとともに、若い世代が日中友好の未来に寄せる温かな希望を紡いでいる。
「柳州ののビルや建物の高さがとにかく高い。日本でも高い建物はあるがそれにも増して高く、そしてネオンや夜景が煌びやかで美しかった。夜の柳江ナイトクルーズは本当に忘れられないね!」と皆は柳江両岸で見たライトショーの夜を振り返りながら語った。「悠久の歴史を持つ遺跡とか、そして工業都市としての近代的な発展、どちらも非常に興味深く感じました。もっと多くの魅力を発見したいので、ぜひまた柳州を訪れたいです」彼らもまた「日中関係は特に政治的な側面において依然として複雑な部分がありますが、私たち一般の国民同士の間では、今後も積極的に交流を深めていきたいと強く感じました」と話していた。
游览龙潭公园
霞ヶ浦高校出身の斎藤彩葉は、広西訪問で経験した心境の変化を真摯な文章に表した。最初、彩葉は日中間の歴史的経緯が交流の障害になるのでは、と不安だった。日中生徒懇談会では、無意識に歴史的な話題に触れてしまわないか恐れ、沈黙を選ぶ瞬間もあった。しかし交流が深まるにつれ、その隔たりは他者にあるのではなく、自身の先入観が壁をつくってしまっていることに気づいた。
「私達をガイドして下さった外事弁公室のスタッフの方が、私達のためにスケジュールにはない夜市やパンダ動物園に連れて行ってくれるなど、何よりも外事弁公室のスタッフや体験活動の施設の方々が郷土愛を持ち、郷土に誇りを持っているからできる歓迎だと思いました」
この旅は、彩葉に新しい発見をもたらした。「もし、私達が広西壮族自治区の方々を茨城に招待したとき、中国でしてもらったように地元を堂々と紹介できるか、疑問に思いました。確かに阿見町と友好姉妹都市である柳州市は、まちの規模がはるかに異なる。しかし、郷土愛の大きさはまちの規模に関係なく、等しいものになると思う。」と彼女は語っている。更に、彼女は「なのでもっと地元のことも学び、誇りをもって地元を紹介できるようになりたい。」と意気込んでいた。
阿見町霞ヶ浦高校学生 斎藤彩葉
今回の旅も彩葉に「発見」の意味を改めて問い直すきっかけにもなった。「私は中国に行くことで何か新しいものに出会える、新しい気づきがあると思っていました。しかし、広西を訪れ『まだまだ地元について知らない』ことが大きな気づきとなりました」。
父から教わった一休宗純の詩を引用した。「極楽は西とはいえど東にも 北道(来た道)さがせ 南にあり(皆、身にある)」真の「極楽」や「真理」が、決して遠い存在ではなく、私たちが日々踏みしめる道の中に、すでに慣れ親しんだ生活の只中にこそ宿っているということを。
彩葉の夢は「人と自然が共生するまちづくりをする」。今回の柳州訪問を通し、魅力的な都市を構築する鍵が、経済の発展の追求だけではなく、静謐で真実味のある文化と土地の記憶の深層を掘り起こすことにあると悟っていた。
この貴重な訪問をへて、彩葉の歩んできた道に自分しかわからない答えが隠されているのだからもっと自分の感性や感覚に自信を持っていきたいとまとめていた。かけがえのない経験が、これからの人生をより豊かにしてくれる気づきをあたえてくれるだろう。今回の海を越えての旅は、彼女の視野をただ単に広げただけでなく、自身の感を信じ、内なる声に耳を澄ます勇気を与えた。
来た道を尋ねて海を越え、青春は続き、約束は終わらない。この心に灯った記憶を故郷に伝え、皆に心へ届けて欲しい。
LZ & AM:手を取り合い、共に青春を描く
柳州と友好都市・日本茨城県阿見町の交流は30年近くにわたって交流を重ねてきた。政府間の相互訪問に始まり、青少年ホームステイ、教育・文化分野での連携、そして国際友好都市としての正式な締結へと発展してきた両市町は、長年にわたり手を取り合い、その絆を深めてきた。
中でも次世代を担う若者同士の交流は、心と心をつなぐかけがえのない架け橋となっている。言葉や習慣の違いを超えて、互いに誠実に向き合い、対話を通じて理解と信頼を築いてきた若者たちは、まさに「海を越えた友情の橋」の礎を担っていると言える。
阿見町代表団集合写真
今回の「2024年日本友好都市青少年訪問団」と「阿見町・柳州ホームステイ交流団」は、まさにこの交流の歴史に鮮やかな一筆を加えるものとなった。阿見町から訪れた多くの「Z世代」たちにとって、柳州、そして中国を訪れるのは初めての経験であり、また「民間交流の使者」として異文化に触れる貴重な機会でもあった。柳州と阿見町で出会った若者たちは、やがて日中相互理解と友好協力の中核役を担う存在となるだろう。
出逢いは別れの始まり。「ぜひまた柳州に来るからね!」「今度は日本に来て!」「来年また会おう!」と空港のロビーでは、涙ぐみながら何度も手を振り合う若者たちの姿があった。そっと感謝の手紙を届く者、記念写真をカードにしてプレゼントした者、再会の予定をスマホにメモする者――短い出会いは二度と繰り返せないが、紡がれた友情は距離で消えることはない。
心と心がぶつかり合い、自分の視野を少しずつ広げたこの経験、絵馬に託した願い、柳江沿岸の灯り、タニシビーフンの味、民族踊りの躍動...それらの貴重なカケラは、若者たちの記憶の奥底に永遠に刻まれているんだろう。
「さようならは悲しい言葉ではない」。日中両国の若者たちが柳州という温もり溢れる街に蒔いた信頼の種が、国境を越えて根を張り、いつか巨木となる日を、心から待ち望んでいる